(トップに戻る)
- 明治の改革は、政治のかたちを変えるとともに、女の歴史に新しい頁を書きこみはじめた。
- まず、封建制度の枠のなかでとじこめられていた女性が、人間として開放され、人権の復活を要求しはじめたのである。(17)
- 明治二十二年(1889)に憲法が発布されると、女権はまたもとの、封建時代の位置にあともどりしなくてはならなくなった。
- 憲法は、女子の発言権を抹消してしまったのである。すなわち、集会および政治結社法によって、女子の政党加入は禁止され、政治演説をきくことも禁止されてしまった。(18)
- 政治の門外に出された婦人先覚者たちは、あいついで女子教育に挺身するようになったのである。(下田歌子、吉岡弥生、津田梅子、木村秀子など)(18−19)
- 明治のはじめに生まれ、大正、昭和と、三代を行きぬいた香川昌子は、はげしい情熱と逞しい反骨に女体を支えられて、実践の場に身をなげだした新しい女たちのなかにその足跡を残しているのである。(19)
- この兄と妹に共通したものは、学問への深い執着と、ひたむきな求道精神であろう。この血をはぐくみ育てた風土が新谷村だったのである。(現在の愛媛県大洲市新谷区)(10)
(元に戻る) (次へ進む)
|
|