情報ということばは、日本にもともとあった単語ではなく、明治の文豪、森鴎外が クラウゼヴィッツの「戦争論」を訳した際に、ドイツ語の"Nachricht"を「情報」と訳したと言われています。 (「ことばコンセプト辞典」より)。 鴎外は自分の作品「藤靹絵(ふじどもえ)」 の中でも情報ということばを使っているようです。 いずれにしても、鴎外が自分の書いた作品にこのことばを使ったことが「情報」が浸透していったきっかけであろうと言われています。 「情報」ということばは、単なる「知らせ」という意味で使われていたのですが、 その出典から比較的最近まで戦争情報の知らせ、つまり「謀報」というイメージで 捉えられていたようです。 「情報」が一般的にコンピュータと結びついた意味で使われはじめたのは、 1960年代以降のことです。 情報システム学科が1965年に創設される時、「工業計数科」という名称でした。
コンピュータのソフトウエア技術者を養成するという学科であったにも関わらず、
学科の名前に情報ということばが使われておりません。
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新:語源 情報処理、VOL.46, No.4(2005年4月号)に,創立45周年記念特別寄稿として始まった「情報という言葉を尋ねて(1)」小野厚夫氏によると、 情報という言葉の起源について新しい見解が書かれていました。 これによると,今までの定説であった森鴎外の造語という説に疑問を持ち、平成になってこの調査をするようになったと最初に記述されています。 疑問をもつようになったきっかけは、鴎外は「情報」と「状報」の2つの言葉を使い分けていたという話を大島進氏が情報処理学会の講演でされたのを聴いたことによるとのこと。 以下の内容は、その連載から抽出したものです。 「情報」という言葉は、上海辞書出版社が発行した『漢語外来詞詞典』に,"情報は日本語起源の中国語である"と明記されているそうで、 日本で造られた言葉であることは間違いなさそうです。 しかし、最初に誰が造ったのか、どういう意味で使ったのか、何語のどういう単語を『情報』と訳したのかは、次のように説明されています。 要約すると、最初に使われたのは、1876年に陸軍の官房御用であった酒井忠恕が『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典』という本を翻訳出版した際に多数使われており、 これ以前には見出せないとのこと。 元の言葉は、フランス語の renseignement で、酒井は"敵の情状の知らせ、ないしは様子"という意味で情報を用いていたようです。 この本は、フランスの新式の陸軍演習法を説明した本で、国立国会図書館か国立公文書館で閲覧できるそうです。 森鴎外は、1901年に『戦争論』(あるいは『戦論』)を翻訳し、1903年に陸軍士官学校でフランス語から訳された上記の巻3以降と合体させるかたちで『大戦学理』 を出版しました。鴎外は、『戦争論』の中でドイツ語のNachrichtenを情報と訳していますが、1箇所だけは状報と訳しており、鴎外も情報と状報を使い分けていたと言えます。 いづれにしても鴎外が出版したのは、1901年ですから、酒井氏の翻訳本はそれよりかなり早く出版されています。また、鴎外はドイツ語のNachrichtenを情報と訳していますが、 酒井氏の原本はフランス語のrenseignementでした。 書名に「情報」がついた戦前の小説としては、プロレタリア作家である立野信之の短編集『情報』(1930年)、大下宇陀の『情報列車』(1942年)などがあるようです。 連載作者の小野厚夫氏は、上記のような内容の記事を、1990年9月15日付の日本経済新聞の朝刊にすでに書かれていました。
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